柏の生活から戦後の住宅開発を考える

以前、柏という街の交通事情という記事で、柏は国道6号と16号の交点にあることをお話ししました。(そちらの記事を読んでからこれを読むことをお勧めします。)

簡単に振り返りますと、国道6号東京から千葉県北西部を通過し、茨城県を縦断、福島県浜通りを抜けて宮城県の仙台まで至る1桁国道です。これに並走するようにJR常磐線とつくばエクスプレスが、また高速道路の常磐道も通り、これらを串刺しにするように国道16号が直角交差する。道路交通が柏市の軸を作っているとまず考えられます。同時に、そこに住んでいる人や消費に着目してみると、交通だけでなく「住む場所」の存在が同じぐらい重要であることにも気づきます。「交通が先か、住宅が先か」という議論は「鶏が先か卵が先か」にも等しい話でありますが、この記事ではいくつかの具体例とともに、柏を構成してきた住宅開発を概観しようと思います。

1.東京(都市)の人口増を支える場所=郊外

戦後の東京では、全国各地から仕事を求めてやってくる人々で溢れかえります。この流入する人々(社会増)だけでなく、戦禍からの復興の過程で家族が増える(自然増)こともありました。

そうした人が集まった都市の代表格が東京・首都圏であります。元あった家のストックでは、増えゆく人を処理しきれず、つまり住宅の数が足りない問題が発生します。また既存の住宅では、衛生環境が必ずしも良いわけではなく、その改善も課題となったわけです。

民間企業によっても住宅は建てられますが、企業であるが故に営利追求は避けられません。無造作に建築物が乱立したり、工場の隣に住宅ができてしまったり、道路が狭く無秩序になったり…といったことも考えられます。そこで、ある程度の公共性を持った事業が求められました。

こうしたことから、国や都道府県など公的な組織が主導して、最低限の環境が整った住宅を、各地域の課題に応じて適切に・早急に用意することがました。そうして1955年に建てられたのが、よく知られている「(住宅)団地」なのであります。終戦から10年後のことです。主に「日本住宅公団」によって建てられました。

2.光が丘団地 ニュータウンの登場

私含め20代には吉岡里帆さんの印象が強いであろう「UR」ですが、URの遠い前身がこの「日本住宅公団(以下公団)」です。

団地を作るのに関わった公的な組織は主に4つありまして、
①日本住宅公団
②各都道府県で公営住宅法に基づいて建設管理する〇〇県住宅供給公社
③市町村でも設置される〇〇市住宅供給公社
④県営・市営住宅をつくる地方自治体
これらの公的機関が連携しあって、地域ごとの課題に応じて適した量・形態の集合住宅を作りました。

柏は東京23区や千葉市などへ1時間程度で通勤できる距離でありながら、常に騒がしいわけでもなく、林や田畑があちこちにあり、適度な自然環境でもあります。そうした環境が、開発に適した土地として選ばれ、近代的な住宅開発の対象となったのでした。反対運動も多く起こっています。

公団設立から2年後の1957年。全国初の“ニュータウン”と名の入る団地「光が丘団地」が柏市内に作られ入居が始まりました。ここで新しかったことは公団がこれまでになく、まとまった広い土地を開発したことでした。光が丘団地を皮切りに、公団建設の巨大な団地群が全国に登場します。

光が丘団地は108棟(全908戸or974戸)が供給され、中流階級の都心通勤の家庭をターゲットに販売されました。入居率は14倍だったそうです。(ウェブサイト「柏市いまむかし」を参考に記述しました。)

今昔マップの比較機能を使って航空写真を並べてみる。108棟建設された
米軍撮影の航空写真より(194901.10撮影)。白く縁取っているのが光が丘団地(USA-R522-58)

この2枚目の地図は1949年のもので、白く囲まれた場所が光が丘団地になる部分です。周辺も含めて、当時は田畑がほとんどを占めていました。現在はこの範囲も宅地開発が進み、ここに見えるような元の地形(洪積台地と谷津)に気づきづらくなりましたね。地質的には下総台地の下総下位面にあたります。(余談ですが国道6号16号でアップダウンが繰り返されるのは、この起伏の多い台地と谷を何度も跨いでいるからです。)台地には畑地とその農家が多く、谷津には田んぼとその集落がありました。現在でも「井」の字がつく地名も見られ、それは崖から染み出してくる湧水のことを指していた名残だと考えられます。

光が丘団地に始まり、柏駅西口には大型団地として知られる豊四季台団地(1964年)も建設されます。戦前は柏競馬場という、地元有力者が作った一大遊園地があったところでした。下の地図は西の空から眺めたもので、白く囲ったのが団地です。現在は周囲に戸建て住宅が立ち並びますが、豊四季台団地には松の木(クロマツ)がよく残っています。柏は古く松林が立ち並ぶ地域でありました。その名残が団地内で見れるわけです。

豊四季台団地の範囲と場所。光が丘団地から7年後に開発された団地で、当時は5階建ての標準的な団地が立ち並んだ。ショッピングセンターや商店街も整備された。近年はマンションに建て替えられている。

3.現在の柏駅周辺から

豊四季台団地から2kmほどで市の中心、柏駅があります。柏駅にはJR常磐線と東武野田線が乗り入れます。国道6号や豊四季台団地、柏高島屋のあるほうが西口で、柏そごう(2016年に閉店)や柏マルイがあるほうが東口です。住んでいた人間の一人としては、常磐線を越えて反対側は別の街という感覚がありました。

東口と西口の違いはバス路線にも現れています。西口を起点に柏流山野田を運行しているのは東武バス“西柏営業事務所”ですが、東口は同じ東武バスでも“沼南営業所”や阪東バス(これまた東武系)です。大きく常磐線を境にして系統分離されています。

地図の真ん中が柏駅である。常磐線の南北(東西)で路線が綺麗に分かれている。
柏市バス路線図マップ2020より

首都圏東部を環状に走る東武野田線から常磐線への乗り換えも多く、乗り換え駅としても重要です。東武柏駅は柏高島屋の建物の一部となっています。柏駅が一番盛況だったのは昭和40-50年代で、それから50年ほど経っており、2010年頃から再開発が進んでいます。西口の高島屋に新館ができたこともそうですが、大きな変化は東口でしょう。日本最初のペデストリアンデッキはリニューアル。ペデストリアンデッキとは、他にも百貨店がいくつかありました。マルイはMODIという新しい形態に変わり、長崎屋もドンキホーテに変わりました。現代的なチェーンのカフェも店舗が増えて、夕方なんかは高校生が多くて賑やかです。東口北側のそごうは2016年になくなってしまいましたが、駅のそばに高層マンションが2棟建ち、人の動きが再び出てきました。

もう少し、交通の役割を考えます。

4.交通の役割に着目

そもそも人は交通の結節点や、そこでの異文化との接触を、自分が持たないもの-他者が持っているものという差として認識し、交換します。それが、前近代から見られた市(いち)の成り立ちであります。現在の街でも同様に、結節点に街が発達します。地理学の世界では常識的に考えられていることですね。ならば柏ならどうか。一住民としての主観ではありますが、以下のように賑わいのある場所を整理してみました。


工業団地の立地については
柏市ウェブサイト(柏市の産業を支える基盤(工業団地・産学連携拠点・学術研究機関))を参考に記述。

赤く囲ったところが商業地としての印象が強いところで、青い点が工業地帯(これは柏市が指定したところ)です。

柏駅周辺が、位置的にも市域の真ん中であり、繁華街、オフィス共に最も多い地域です。柏の葉キャンパス駅周辺はここ10年ぐらいの間に人口増加が著しく、とりわけ年齢層の若いファミリー層が多い印象です。

市の南東(上図の点線から東)は旧沼南町(しょうなんまち)で2005年に柏市と合併した地域です。主要地方道に指定されている県道8号(通称船取線・我孫子船橋線)が縦貫していて、道幅は狭いながらも重要な生活道路になっています。

その旧沼南町地域ですが、国道16号沿いには車で来ることを前提とした大型のショッピングセンターが、アリオを中心に目立ちます。この一帯は沼南地区の工業団地で、1966年に起工した「沼南工業団地」を皮切りに、周辺が大規模開発されていったところです。下の地図をご覧ください。これは北側からアリオ柏やアルペンの店舗を眺めた図です。

国道16号旧沼南町地域の開発
(柏市の資料からgooglemapにトレース)

色分けしているように、この画面内でも1966年(半世紀以上前)に起工した工業団地もあれば、20世紀の終わりに計画決定した工業団地、加えて近年大型商業施設(アリオ柏)の進出した商業地域も混在しています。ここを貫く国道16号の役割が、首都圏の物流の上で便利であると同時に、近隣の住民にとっても(主に)土日のお出かけ先となってきたことが表れています。

こうした商業施設の分布は柏にかかわらず、国道16号沿いのほぼ全ての街に言えますし、結果として首都圏30-40kmのロードサイドの姿であると言えます。それはまた同時に、これらの地域に住む人々の消費の場であり、またそこを成り立たせるだけの働き口にもなっているという、一つ欠けては成り立たない経済系となっているわけです。今ある柏の生活が、戦後早い時期から行われてきた住宅と交通の整備、そこで暮らした人々の生活の結果あるという、その積み重ねに気づけるとき、今までよりも愛おしいものに感じられるのかもしれません。

ここまでありがとうございました。

より詳しく知りたい方は、以下の資料をぜひご覧ください。

【参考文献・資料】

安倉良二 2013.日本の商業政策の転換による大型店の立地再編と中心市街地への影響に関する地理学的研究.(博士論文)(PDF)

柏市 柏都市計画 沼南中央地区 地区計画(PDF)

柏市 柏都市計画 沼南風早工業団地地区 地区計画(PDF)

渡辺達朗 2016.『流通政策入門 市場・政府・社会[第4版]』.中央経済社.

日本住宅公団20年史刊行委員会 1981.『日本住宅公団史』.日本住宅公団.

住宅・都市基盤整備公団史刊行事務局 2000.『住宅・都市基盤整備公団史』.都市基盤整備公団

柏市いまむかし(ウェブサイト)

国土交通省ウェブサイト 宅地供給・ニュータウン

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