音楽を知る機会/メディアの変遷

今を生きる我々は、好きな情報を得たいとき、当然の如くgoogleで調べたりSNSでハッシュタグから検索してみたりするわけですが、昔はどうだったのか、考えてみようと思います。

調べる対象が不明確だと話がわかりづらいので、「音楽」に限定してみようと思います。

私の音楽体験①:インターネット

一番音楽に触れる頻度が多いのは圧倒的にインターネットだと思います。googleを起点にYoutubeや個人のブログ,インターネットメディアのインタビュー記事をみたり、サブスクを使って調べることも少なくありません。

googleで調べる時はキーワードを3~4つほど入れ、良さそうな記事を見つけては右クリックで「新しいタブでひらく」を選び、だいたい15くらいのタブを一気に開きます。そうしていると検索結果画面の5-6ページ目までいきますので今度は開いたタブを片っ端から読み、気になった言葉を選択して右クリックで検索かける。一気に読まないとタブが溜まっていくのが難点です…

すぐタブが増えます…

好きなアーティストだったりすると本人のSNSやメールマガジンなどで来た情報だったり、Youtubeでアーティスト名や楽曲の名前などを日本語英語で調べ、過去の映像やインタビューなどを調べます。

一方で、やはり音楽は偶然の出会いが楽しませてくれるというのも大きいですよね。

その点、サブスクリプションサービスは使い方を工夫するとより有効に使うことができます。私はspotifyを使っていますが、無料会員でいる期間も楽しいわけです。というのも、無料ですと聞きたい曲を選択できるのが1時間に6回くらいしかできないから。つまり、それ以上は好きに聞けず、ランダムに再生されるわけです。必然的に、聴こうとしなかった曲やそれまで知らなかった曲を掛けてくれます。このランダム再生は有料会員になってからも機能をonにできますのでぜひやってみてください。

といった感じで、自分で調べて聴くことが割合で言うと多いのがわかっていただけると思います。一方で、spotifyのランダム再生のように、インターネット上でも偶然の出会いができるという点は私自身重宝しています。

こうして好きになったアーティストをより知ろうとするとき、私はここでやっと実態のあるメディアに手を出すことになります。具体的にはCDやカセット、レコードなどのメディアです。

私の音楽体験②:実体あるメディアたち

本当に好きなアーティストの曲を知りたいというときにCDを買ったりします。お金を払うと言う点で少しハードルが高くなってしまうのは事実です。

自分の音楽体験を振り返ってみると、家にあったCD,カセット,MDを読み込んでくれるコンポで、TSUTAYAで借りてきたCDやラジオをよくMDに入れていたという経験があります。自分で順番を考えて作るのが楽しいですよね。私はいま22歳、小学6年生だったのは2010年のことです、みなさんも自分のこと思い出してみてください。

中学の時が多いですね…その一部。

似たように、空のCD-RWに入れて勝手にラジオ番組作っていたりもしました…()

ipodやmp3のwalkmanが流行ったのが私が小学6年生の頃だったと思います。私はhitachiのiμ’s(HMP-X908)というMP3プレイヤー(8GB)を使っていました。しかも地元のTSUTAYAのカゴで売ってあったもの。僕にとって、持ち歩けるようになった初めての音楽メディアでした。録音もできたので駅の音とか声とか録音してあります。記録できるものの量が増えたので、もう雑多にアルバムを入れまくったり、パソコンで作ったアルバムをうつしたりして使うようになりました。

MD,CD,mp3プレイヤーでやっていたことは、今で言うところのプレイリストだと思います。

そして時代に逆行するように、私の聴く音楽の幅がどんどん遡っていくにつれて、ネットにも無い、CDにもなってない曲があることが発覚、そういうきっかけでカセットやレコードを買う人間になってしまいました…

2018年にくるりから出された新譜はカセットだった。

と思いきや、近年はいま活躍中のアーティストたちによって積極的にレコード・カセットによるリリースが増えてきていて、現代の技術で録音された“新品”を手に入れられるようにもなりましたね。(1991年以来、2019年がレコード販売数が過去最高のようです。)


メディアが変わると何が変わるか

ちょっとした自分の音楽メディアの遍歴を紹介してみました。だいたい2010-2020年くらいのこの10年間の話でしたが、ここまでで登場したメディアそれぞれの特徴と、メディアを変えることによる影響って何でしょうか。

この話題を理解するための軸は3つあると思います。勝手に考えてみました。

一つには、メディアの数です。メディアの数というのは規格の数と言い換えることができます。数が増えれば、自分が知りたい情報は探しやすくなるし、偶然の出会いをいろいろなところに求めることも可能になります。選択しやすくなると言ってもいいですね。

二つ目はメディアの大きさと密度です。見た目が大きければ持ち運びづらくなる。情報量が多ければ、より詳細に曲のデータを記録でき、理論上、よりよい音質を提供してくれる。見た目の大きさに対して入る情報量が多ければ(密度が高ければ)、持ち運ぶ機会が増えたり用途の可能性が広がると考えられます。

レコードは、一般的なLPには片面に20分ほどしか記録できません。しかもCDの倍くらいの大きさがあります。A,B両面合わせて40分ちょっと。回転スピードは変わらないので必然的に中心近くは音質が低下するのでそのバランスを考えると40分ちょっとがベストなんです。だいたいこの1枚に収まるように作られます。少なくともこの時代、レコードという制約によって、曲がいっぱい入っている“アルバム”というものは形作られていたわけです。面白い。

ちなみにこれはCASIOPEAのアルバム、MAKE UP CITY。

三つ目は、自分で作れるか(書き換えができるか)。空のメディアを手に入れ、そこに好きに自分で情報を書き込む。

これらの3項目、端的に言えば現代に近づいてくるにつれて、必然的にメディアの数(=規格の数)も増えてきたし、大きさも密度も増し、書き換えも可能になってきました。気軽に好きな場所に好きなタイミングで“音楽を持ち運ぶ”ことができるようになりました。

かつての技術者たちの努力の結果生まれ普及した数多くのメディアを前に、現代に生きる我々は、選択の幅が広いと言えます。

そんな現代だからこそ、データを持ち運べなかった時代に思い馳せてみると、いろいろ見えてくるものがあります。

音楽を自分で記録する=自分のものにできる喜び

持ち運べるか持ち運べないか。デジタルデータや、小さな記録メディアであれば持ち歩くことができます。それに対し、ある特定の場に行かないと知ることができないといった場合や、MD,カセット,CD,mp3プレイヤー,スマートフォンなどが無い時代だと持ち運べないことになります。

今から50年前、1970年。(50年も前なんですね…。)当時はレコードと並んでカセットもよく普及しているメディアでした。特筆すべきは自分で録音できるということ。ラジカセの普及で、空のカセットを買ってラジオを録るといったことができました。いわゆるエアチェック。電波を通じて公共に流れている、偶然の、一過性のラジオを録って溜めることができたのは、相当大きいのではないかと思うのです。今に比べて情報を取り入れる手段が少なかった当時、得る情報量のうちラジオである比率は大きかったと想像されます。

エアチェックが一般化したこの頃、このような個人の活動が、産業に影響してきます。社会学の分野で、カフェに関する論文で多く指摘されている、ロック喫茶・ジャズ喫茶への影響です。

ジャズ喫茶の従来の役割のひとつは、海外(主にアメリカ)からの最新のジャズレコードを客に紹介することにあり…

「<エッセイ>ジャズ喫茶の(偽)研究」モラスキー・マイク(2017),p.160

七〇年代の聴き手はある程度、レコードに投資できたし、カセットテープのダビングが普及して、ある喫茶店へ行かなければ聴けない音源は少なくなった。

「ジャズ喫茶の文化史戦前篇 : 複製技術時代の音楽 鑑賞空間」細川周平(2007),p.212

ジャズ喫茶やロック喫茶が、海外の音楽を知る数少ない拠点として機能していた、そんな時代があったことを、これらは指摘しています。

それが、ラジオ放送からエアチェックをすることが一般的になったことを受け、喫茶店の情報発信基地としての役割が弱まっていたということがわかります。

その後、1979年にSONYから画期的製品「walkman」が発売されることになります。SONYの創業者である井深大さんが飛行機で海外出張する際、良い音で機内で聴きたいという要望から生まれた製品と言われていますね。

音楽を家でも店でもなく、どこでも携帯できるようになったという功績は、当時の社会に相当の変化を及ぼしたのではないかと思います。

1983年にCDが登場し始め、レコードに比べ小さく管理が容易になったCDは、5年ほどでレコードのシェアを追い抜きます。そして現代に近づくにつれて、MDが、それが今度はインターネット上でのデコーディングソフトの普及を経てMP3が流通し、音楽をどんどん気軽に持ち運べるようになります。一方でこれは、権利保有者の関わらない形で音楽が流通してしまう、いわゆる海賊版の流行、違法ダウンロードという現代の問題まで繋がることになります。

2020年、我々の周りに溢れている技術はそういった蓄積の上にあると思うと、感慨深いものがありますよね。今回は音楽を運ぶもの=メディアに着目して、つらつらと書いてみました。この変化が、個人の活動に限らず、その集合である都市(街)にどう影響を及ぼしたか、このサイトでは記述していくことになると思います。首を長くしてお待ちください…

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