③朝市に街の歴史をみる

この記事では、私が訪問した増田町の朝市について紹介します。(情報のソースは、お話しした方々からの聞き取りと最下部に示した参考資料です。)

2020年1月12日、秋田県横手市増田にいました。泊まっていた林旅館を出て、この街の街並みの見どころ、内蔵(うちぐら)を見学したあとはまたフラフラと歩いていました。

例年だとこの時期は豪雪で、雪のかまくらで有名な場所です。ただ今年は本当に少なかった。「増田町 冬」で調べてもらえれば、雪の中の街の写真が見れるはずです。ありがたいことに今回の訪問ではじっくり歩くことができました。

旧石田理吉家。木造三階という貴重な建物。

3階建ての建物。渡り廊下といいますか、部屋の外に通路があるようで、さぞ眺めは良いんだろうなあと思いながら撮影しました。私はこの板目張りの壁が好きです。張り替えてすぐだとこうして明るい白色をしていますが、時間経過とともに黒ずんでいきますよね。生きている感じがして好きなのです。

朝市に出会う

そうこう思いながら歩いていると、不思議な道幅の裏道を見つけました。進んでいくと、運良くこの日は朝市が行われていました。

ここから写真がモノクロになります、すみません。モノクロフィルムで撮影し始めてしまったのです。

朝市で売られているものは観光客向けのお土産だったりするのかと想像していましたが、その予想は外れます。極めて純粋な市がありました。

婦人服、生活雑貨を主に扱う出店(でみせ)。(写真の写りが悪いです、すみません。)
鮮魚を扱う出店。手前の発泡スチロールには「八戸」と書かれている。

店の数は5ほどだったでしょうか。婦人服,鮮魚,生活雑貨,パンやお菓子などが売られていたと記憶しています。

何より形態が特徴的です。木で組まれた骨組みにトタンを被せ、屋根にしています。組み立て・撤去が容易にできるような構造になっているんですね。

売り終わると綺麗にダンボールに詰め、車にのせ終わったら解体。ゴザが敷かれていますが地面の上に直接ではなくビールケースを敷き詰めた上に被せるようにしています。

片付けの最中。
車へ品物を戻すと、テキパキと出店が解体されてゆく。
高さ調節のためだろうか、いろいろな部材が再利用されている。

3時間くらい、地元の方々とお話しさせてもらいました。「東京の柴又に15年くらい住んでいたよー」「君は柏出身なのねえ」と言ってもらい、金町の給水塔の話や柴又の話をしたり。

「どうして増田に1人で来たの?」だとか「彼女は?」とか「大学で何をしているの?」とか「就職は?」とあれやこれや質問されいろいろ聞いてもらい、街角談義に花が咲く…というのでしょうか、楽しい時間を過ごさせてもらいました。一方で、私からはこの朝市に関していろいろと聞いてみました。

寒い中で朝市を営む知恵

出店されていた方全員にお話を聞きました。そのなかでも例えば、ある女性は、出店して「もうかれこれ40年近い」とおっしゃっていました。朝市の行われる頻度は昔から変わらず、毎月2,5,9の付く日の午前中に行われているといいます。
この日は雪はなかったとはいえ真冬の本当に寒い日で、出店者は少なかったですが、春になれば店の数はずっと増えるといいます。農作物を売りに来る農家の人が、春以降秋まで増えるそうです。

立って話していると、靴の裏を伝わって地面の冷たさが伝わってくるくらいです。実は、ビールケースをゴザの下に敷いているのは、少しでも暖かくするための工夫だったんですよね。そして片付けているときに見せていただいたのは、足元を温める火鉢でした。

見せていただいた火鉢。ビールケースを敷き詰め、真ん中のビールケースだけを抜いて、そこにこの火鉢を置く。

豆炭(雪国ですね)の入った火鉢を真ん中に置いて、その周りを囲うようにビールケースを敷き詰め、ゴザを敷きます。寒い中でも、火事の心配も払拭しつつ、快適に商いをする知恵が活かされています。

この朝市が開かれている道路は私道のようで、ここで長年続いてきた朝市に対して、敷地を所有している方が資産を売ったものだといいます。鮮魚を売っている出店は、屋台形式ではなく、常設の屋根付きの倉庫を使用していました。これは片付けの手間がなくなるようにといって新製されたようです。

朝市の環境整備のためにつくられた、常設の建物。

ずっと話をしてくださった方、後から調べてみると、この「増田の朝市」の会長をされている石川浩一さんだとわかりました。本当に親切に話しかけていただき、駅伝の話も盛り上がり楽しかったです。お世話になりました。

秋田を扱う良質なウェブマガジンである「なんも大学」というサイトのこちらの記事に、詳しく増田の朝市が取材されています。石川さんもインタビューで登場されていますので、ぜひ読んでみてください。

結節点だったことを、朝市が伝える。

前回の記事で調べた増田町の歴史と合わせて、この朝市を考えてみます。

増田町のこの朝市は、調べてみると400年近いの歴史があることがわかりました。寛永20年(1643)から、ここを治める佐竹藩の公認で続いてきた朝市。この増田の城下町にいる「武士たちが日常生活に必要な物資を付近の村々に求めたのが始まり」(月刊あきた 1984年1月号より)とされているようです。

街道の結節点に増田町があることはお伝えしましたが、特産品の葉タバコだけでなく、街道を通して運ばれてきた、増田では作られていないもの(港から運ばれてきた鮮魚や、山菜、他の都市部で仕入れたものなど)がここに集められたということになります。その意味で、自然発生的な市場だったと言えるのではないでしょうか。人々による商いで現代まで維持されてきたことが想像されます。

昭和以降、産業構造が大きく変わってきて、出店者も減少し、高齢化も起きているといいます。そして、生活収入の柱というよりも、生計を立てる複数の手段のうちの一つ、そういうものとして捉えられているように思います。

私のような外部から来た学生に対しても優しく接してくださり、なにより会話が生まれていくのは、同じ物を買うのでもスーパーでは見られない貴重な機会ではないでしょうか。商品の交換の場という側面だけでなく、出店者にとっても常連の買い物客にとっても、観光客にとっても、立ち話に花が咲いたり情報交換を楽しめる。これこそ、求められる商いの姿なのではないかと思わされました。

関連して、私は昨年、大学にて民俗学の講義を、実は朝市に関する著作がある山本志乃先生に教わりました。『「市」に立つ:定期市の民俗誌』という本で、他の地域の市との比較や分析が参考になりそうなので、また近く購入して読んでみようと思っています。
また、この朝市で石川浩一さんに教えていただいた写真集、池田進一さんの『東北朝市紀行』もまた読んでみようと思います。

秋田県にあるこの街で、街が発達してきた要因を実感でき、地元の方々の優しさにも触れられた良い訪問になりました。

増田町でお会いしたみなさん、ありがとうございました。
そしてtwitterでこの増田町を勧めてくれたよこやまさんもありがとうございました。


実は後日、東京の表参道にあるスパイラルにて行われた、地域に根ざしたものづくりをされている方々に会えるイベント「ててて往来市」を訪れた際、偶然この増田町の方にお会いしました。casane tsumugu(かさね つむぐ)という秋田の「地域資産のデザイン」を行なっている会社の方でした。澄んだ空と山という、東北らしい色合いが素敵なホームページです。なんと増田町のこの地区にある元酒蔵に事務所を構えているといいます。

増田町、再訪の可能性が高そうです。

参考資料
月刊あきた 1984年1月号
なんも大学 「暮らしを支える朝市談義」2018.10.10

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