#2 荒井由実 「瞳を閉じて」②
故郷を懐かしむ気持ちはどう生まれるか
自分が大切にしたい場所があるっていう人は多いと思います。それが、親が住んでいる場所なのか、自分が長く住んでいた場所なのか、良い思い出が残っている場所なのか、人によって様々ですよね。
前回から連載している、シリーズ「東京を捉える」という企画。ユーミンの歌をきっかけに、2回目のこの記事では、その曲「瞳を閉じて」の作曲を依頼した藤原(侭田)あつみさんへの過去のインタビューと、書いている私の体験を紹介しながら、これらの個別具体的な話の共通点を整理してみようと思います。そして、故郷を思うとは何か、そこから東京とはどういう街なのか考えてみようと思います。
目次
1.都会の無関心さへの憧れ
藤原あつみさん
2.東京から離れた場所への憧れ
-1 都市に住む人
-2 筆者のこと
自分の住む街が旅先になればいい。
あまりに住みたかった九州が。
最後に. 故郷を懐かしむとは。東京とは。
荒井由実 「瞳を閉じて」①で、曲ができた経緯について紹介しました。
リリースは1970年代中頃なのでもう40年以上経っています。それだけの時間が流れたということもあり、これまでテレビや新聞で取材されたものを調べてみると、多くのメディアで特集されていることがわかりました。これらを見ていけば、作曲を依頼した藤原(侭田)さんの心境の変化が観察できるかもしれないと見当をつけ、資料に当たりました。インタビューを抜粋して紹介しようと思います。
今日の話に登場する島です。どちらも長崎県。前回に続いて、曲の舞台となった奈留島と私が行った池島、住みたかった福岡の街が話に出てきます。そしてこの話をするのに欠かせない、東京について考えます。
1.都会の無関心さへの憧れ
藤原あつみさん
心境が本人から語られています。1976年の取材時には大学受験のために東京で生活されていました。
(上京した当時を振り返って)
新日本紀行「歌が生まれて そして」(1976年放送)より
リポーター:「島を出る時、喜び勇んで出たほう?」
藤原さん:「いやあ、船に乗るまではそうですけど、船に乗るとやっぱりちょっとね。追われていくって感じです。」
高校の卒業を期に、就職や進学で島を出る人がほとんど。ただ、島を出たくても出られない人もいれば、残りたくても残れないという、意志と行動は必ずしも一致するわけではない。そこも重要かもしれません。
1988年の特集で取材されたときの藤原さんは、もう東京の短大を出て会社勤めをし結婚、お子さんも2人いました。東京に出てきて「島の中での煩わしい人間関係を嫌い、何かに追われるように島を出たと言う侭田さん(結婚して姓が変わり)は、今も自分には東京が合っているといいます。」というナレーションに続いて、こう答えています。
(東京都葛飾区にある家で取材を受けていて)
侭田さん:「都会の華やかさじゃなくて無関心さと言うのかな、そういうのに憧れていたんですよね。その人混みの一員でいられると言うか、単なる一人の人間でいられると言うか。周りも気にしなくていいし。悪いことさえしなければ誰も何も言うわけでもないし。そういう世界がすごく好きだったんですよね。」リポーター:「出たかったって言うけど、なんでああいう島の歌をつくってくれって(言ったんだろう)?」
侭田さん:「そうですね…だからやっぱり嫌いだとかなんだとか言いながら、愛しているんでしょうねぇ。」
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(歌碑が島に作られることになり、除幕式で島に戻ったとき)リポーター:「侭田さん、今も島の人たちに対する思いって変わらないですか?」
侭田さん:「いええ、変わっちゃった(笑)また帰ってくると思う。やっぱり今日朝からいろんな同級生に会って。ユーミンを待っていろんな話をしている間に。やっぱりいいなって思いますね。」
九州特集「瞳を閉じて ユーミンが贈った島の歌」(1988年放送)より
都会に対して、人々の無関心さを求めていたという話。私自身、大学に通っていても、上京してきた友人と話しているとよく話題に上がる内容です。地縁的な繋がりがよく残っている場所、集落が単なる居住の場としてだけでなくコミュニティとしても機能しているような場所に住んでいた方々が、よくおっしゃっているように思います。
人と近い、近すぎる環境があるのかもしれません。自分のプライベートのことまで地域の人がよく知っている、どこに誰といるのか大抵知られているなど、必要以上にオープンにされてしまう側面もあるということでもあります。“煩わしい人間関係を嫌い”というナレーションには(本人のものかテレビ局の想像なのかわかりませんが)そのニュアンスを感じます。
一方で、島を離れてみたら“やっぱり”良いなって思う、とも話しています。曲を作ってと依頼したこともそこに起因するものだろうと、本人も考えているようです。
2.東京から離れた場所への憧れ
-1 都市域に住む人
都市域に住んでいる人たちが、「田舎っていいよね」と言う言葉には、旅先の経験などでしょうか、普段生活している時以上に親切にもてなしてくれたり、金銭では価値交換できないような体験をもたらしてくれたりする印象が含まれていると思います。のんびりした生活というイメージ。私も、その一面はあると思います。
それが、都市部では人が多すぎて、自分の居場所が多いからこそ、人との接点の持ち方を選べる。選択できるだけの人間関係が存在することで、自身の居場所をコントロールできるということにつながっているように思います。侭田さんの「都会の無関心さに憧れていた」という話は以上のように理解できそうです。
都市に人が集まるという特性は、単に仕事(雇用)が多いという点以上に、この観点からも解釈できると思いました。
そして改めて、侭田さんがこの曲と自身の生活を通して故郷への思いがどう変わったのか、捉えても良いかと思います。
島を離れたいと思って出たと言うけれど、どこか島に対して愛着を持っていた。
島を出ることに寂しくなるのは何故でしょうか。故郷を離れることに寂しくなるのはなぜでしょうか。考えるのに当たって、私自身の経験を振り返ってみようと思います。
-2 筆者のこと
自分の住む街が旅先になればいい。
そもそも私が住むのは東京から約30kmの距離にある街です。高校生まで、住むのも通学先もその地域で完結していましたが、街自体が東京ありきで成り立っています。働きに行くのは東京、通うのは東京、ものを手に入れるのも東京。一見、自分の街で完結しているように見えても、昼夜間人口比率や人口に対する生産額が示すように、俯瞰してみると東京との関係は切っても切れないものでした。そういう自分の街のことはたくさん調べてましたがなんか好きになれない。好きになろうと努力してました。
「自分がこの街を好きになれるのは、きっと住民以外の目線を獲得できたときだろう。いつも旅行で訪れた土地の生活に感動するように、自分の住んでいる街も旅先になればいいんだ」と考えていました。
そして私は、ずっと九州の大学に行きたかったこともあって、浪人しました。
なぜ九州の大学に行きたいの?と聞かれたとき、やりたい研究の環境が整っていた大学だったという理由と共に、私は「自分の住んでいる街を相対化したい、だから東京から離れたところに住みたい」と徹底して答えていました。その思いが当時強かったのは事実です。
浪人することになり、地元の予備校ではなく東京都内の予備校に通うことにしました。結果としてこの頃、思いがけず東京が自分の生活の一部になっていることを身にしみて実感するようになります。
あまりに住みたかった九州が。
浪人生だった夏、志望校のオープンキャンパスに行った次の日、長崎県の池島という島へ行きました。これが、初めて一人で船に乗って島へ行ったときです。当時は、「瞳を閉じて」という曲が、長崎の島にまつわる曲だとは知りませんでした。このとき初めて長崎の海を見ました。池島にはそれ以降何度も行くことになりますが、この海を見ると毎回、なぜか心が洗われる思いになります。海が荒れたこともありますが、自分の心象風景にもなっているような気がします。
そして、合格もしたわけじゃないくせに、住民になったかのように福岡のスーパーやバスなどの生活情報を調べていました。
あまりに調べすぎて、入試の終わる3月ごろには既に完全に頭が九州に移住していました。その結果、東京の大学に進学することになった4月には無理やり東京へ引き戻された感覚を覚えました。一度も住んだことがないはずなのに、私の中では九州の地に自分を残して置いてきてしまったような気がしました。
それを戻してくるのに、非常にエネルギーを使った。首都圏から離れたいという思いは、そのような形で表面化しました。今振り返るとこの一連の自分の行為は、どこか別の場所に思い入れのある地域を求めていたことの現れだった気がします。
そして大学生になり、「瞳を閉じて」が作られたエピソードを知りました。
自分が、地元に対して感じていたものと、九州の大学を志望したり池島に通ったりしている中で気づいた第二の故郷を求めようとする自分、そしてそこに影響していた東京という大きな都市の存在、さらに、瞳を閉じてが生まれるに至った藤原あつみさんの地元への思いがシンクロして、曲の理解が深まりました。
最後に. 故郷を懐かしむとは。東京とは。
荒井由実「瞳を閉じて」が示すもの。この歌の目線は都市に住む人で、歌詞は都市の人が持つ島のイメージの投影なのではないでしょうか。そしてここまで整理してきたように、その眼差しは、島という環境やその大小に限られた訳ではありません。
作詞作曲したユーミンは八王子に生まれ、八王子の芸術大学に通い、都市の・東京の音楽文化のなかで過ごしたと前の記事で書きました。あの歌詞は、都市での生活があってこそ生まれた、“距離のある”場所にむけた眼差しのように感じます。
“距離のある場所”とは、奈留島-東京間の約1300kmという物理的な距離のある場所だけでなく、何らかの要因で離れてしまった心理的な距離も含めてです。
聴く人にとって、今過ごしている場所と思い出す場所との“距離”が遠いとき、この曲は特に響くような気がします。その一つの象徴的な形が、故郷を離れ新たな街に移動するという行動だったのではないでしょうか。
私は、東京を感覚的に取り込み始めた時期に、自分の地元を離れたいという思いから九州への憧れを強め、第二の故郷を求めようとしました。結果として物理的には住んでいないものの、九州はいわゆる心の故郷として残りました。また、自分が通っている池島は偶然にも、「瞳を閉じて」の舞台になった島の近くでもありました。
大学生になって「瞳を閉じて」のエピソードを知り、上京してきた友人たちと話し、それぞれが過ごしてきた場所をどう感じているのか、ここまで綴ったように考えました。一方で自分自身も含めて、全国各地から人が集まり、何かを思う、その集積が、東京という巨大な都市を形作っていることにも気づきました。
東京は、故郷から人を吸収していく、都市の代表格として、この「瞳を閉じて」のメッセージを成立させている根幹になっていると思います。
参考資料一覧
・1976 NHK 新日本紀行 「歌が生まれて そして」
・1988 NHK 九州特集「瞳を閉じて ユーミンが贈った島の歌」
・1996.2.14(夕刊)読売新聞
旅にでたくて / ユーミンが作った県立高の愛唱歌 ~ 五島列島に残るメロディー
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