なぜ自分のことを語る?

その土地について語ろうとするとき、地域で起きている事象(出来事)に注目することと、その事象を生み成り立たせている人に注目することが必要であると、ここまでの記事で書いてきました。読んでいると薄々「これは書いている人の生い立ちだとか思いの割合についての話が意外に多いなあ」と思うかもしれません。

その地域について語ろうとするのに、まず地域と自分との繋がりについて書く。これは意識して行なっている(行なっていきたい)ことです。いちいち自分のことを語る理由、背景についてお話しします。東大の前副学長をされていた、吉見俊哉先生の『都市のドラマトゥルギー』の序章部が、その言語化に際し非常に参考になり、より一層自覚できたところだったので記すことにしました。抽象的な話です。

「〇〇年に△△があった」という情報

「この街でこんなことが何年に起きました,こんなものができました」という羅列だけでは地域を把握したくないという思いがまずあります。これらの要素は地図や年表に記されていて、地域を調べようとするとき、まず知ることになります。これは一見、問いに対する答えのように見えるのですが、その事実の羅列で満足するのはちょっと早いかなと思うのです。

そうしてから、その出来事の要因や背景を調べることになります。キーマンになった人がいた とかこういう時代背景があった とか、歴史をまず調べます。直接街に行って、情報を集めることも多いです。

いくつかの出来事に対してそのように調べたところで、地図上に表現していきます。点をプロットするのか塗り分けるのか、グラフを重ねるのかは、伝えたいことに応じて変えます。

という、まあ好きだったら当然だろうという話なのですが、ここまでは一般的な調べものという感じですね。

調査対象は、自分の外にあるわけじゃない

その街に惹かれる自分、そこにいる人に惹かれる自分がいます。それに無自覚ではいけないと思うのです。

その上で、なぜ私は惹かれるのか、そうさせた環境・経験について辿ることで、自分を取り巻く環境について副次的に分析することができます。

もっと言うと、自分を取り巻く環境とは研究対象であるその地域の環境である ことも多いです。

街の姿は独立して存在していてそれを勝手に人が感じているというよりも、その姿はそこに関わる人々が作っているということを、観察する私自身を通して考えようという試みです。

つまり、外から観察しているように見えて、あるいは外から観察するように努力しても、観察する私はその街との関係の中にいるわけです。そしてその街の姿の一部になってしまっている可能性があるのです。客観的にはなれない、主観的でしかないという落胆のように聞こえるかもしれませんが、このように不可分な、重なり合う存在であることは自覚的でありたいと思います。

そしてこの感覚を無視せずに、あらゆる地域について記録することが、今求められていると思います。

観察者も観察される側も互いに不可分であり、影響し合う(観察者であっても街に・そこにいる人に影響することがあり得る)という、曖昧な構造は、社会学者吉見俊哉さんの言葉でいう「上演的」という表現が指摘しているものに、僕の理解は近い。明確に区切られた、舞台上の演者と観客席に座るオーディエンスという関係ではなく、もっと原初的な、舞台と席の境界線がない形態の劇場というものに、街を見立てている表現です。

ここでいう上演的という表現のニュアンスは、なかなか伝わる物でもない。いろいろな例え方があると思います。僕の経験だと、文化祭や合唱祭でクラスの作品を作っている時のリーダーとプレイヤーの衝突から良いアイデアが生まれて作品がより洗練されてゆく感覚に近いかな…いや、遠いかも。

この、表現しづらい、自然と議論が生まれていく空気感が、私が作りたい環境なんですよねぇ…。はい、そういうことなのです。またその話はします。というかそういう環境を作ります。

この考え方、人に対しても適用できる

この感覚を私は、人に対しても持っているといえます。仲の良い友達のことをもっと知ろうと思って探る行為は、これに近いかも。少し生々しいかもしれないけど。

つまり、この興味の持ち方って、対象はなんでも良いわけですよね。僕が「興味を持つ」って言ったとき、本質はここにあるのかもなあと思ってもらえたら嬉しいです。結局自分の話で終わった〜。まあいいんです。

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