【対談】これからの旅、生活圏への旅。 with松本伸哉さん(ホホホ座)

ご無沙汰しております。紅葉が美しい季節ですが、少しずつまたコロナも広がりつつある今日この頃。5月ごろから構想を固め、取材・撮影、書き起こし編集と経て、先日1冊の本が完成しました。名前は「dokoka vol.1 京都編」。(こちらに説明あります。)製作中、1週間京都で滞在制作していまして、その際は不思議な本屋「ホホホ座」さんにお世話になりました。今回の出版もお手伝いいただいています。そのあと、このご縁もあり、ホホホ座の店主である松本伸哉さんと、旅行についてメールで対談する機会を得ました。「国内旅行、観光について思うことありませんか」という声かけで、7月24日から8月14日までメールをやりとりしましたので、公開します。2本立てです。

対談からもう3,4ヶ月経ってしまいました、当時はそんなこと考えてたんだなーくらいでご覧ください。

1.「生活圏への旅」とは?

松本:今この状況で、そもそも「旅行に行く」という、動機や精神性って何だろう?って考えたりしてます。変な話、コロナやGo To トラベルがあったからこそ、本質を考えざるを得ないような状況が生まれているような気がします。

僕は、「旅行」という、娯楽を国が援助するって、そもそも、かなり無理めの設定だと思っていたんで、特にこのゴダゴタには驚きはないです。本当にやるんや。という気はしましたが。

兒玉:確かに、Go To トラベルによって、旅行を求めるのはなぜか、我に返って考えるようになった人は多そうです。旅行が好きな人は特に。一方で「旅行に行きたい人が勝手に言っているだけでしょう」と思う方もいるでしょう。私はGo To トラベルが、ちゃんと宿泊事業者の支援を目的とした施策となっていない点に落胆していますが、まあ、その話は置いておいたとして。確かに、皆はどうして旅行に行きたくなるのでしょうね?

旅行者と旅行先の関係には、いくつかのパターンがあると思っています。一番多そうなのが、旅行者個人が、辛い自分の私生活を離れて開放されること。その場合、自分と旅行先との接点はなくても良い、むしろ断絶されていた方が良いのかもしれません。観光地で消費をすることが目的となります。

対して、行先での生活を観察する、人の生活圏に意識的に入っていく旅行もあります。人によって、旅行で重視するものが違うんですよね。もちろん0か100かではないですが。今回のGo To トラベルは、そこが不明確かなと。目的と機能が連続していないというか。

松本:「消費型の観光」って、どう考えても、この先ずっと続くとは思えへんのですが、どうなんでしょう?企業的な発想でそこを目指すと、郊外のロードサイドと同じで、必ず商店や施設は平均化するんですよ。デザインやアプローチが似てくる。各地の観光ロードにある商店のスタイルは今現在、かなり平均化しています。強引に地元の名産をねりこんだソフトクリームやら、あと、クラフトビールとか。フレイバーに多少の変化はあるものの、デザインとアプローチは同じです。

このパターンのものは、必ず廃れますし、地元の大きな団体を巻き込んだりもするんで、地域に残すダメージもでかい。本当に考えた方がいいと思います。兒玉くんの言う、「生活圏を旅する」という考え方ならないと、どんどん負のスパイラルに入る気がします。

兒玉:与えられたものを消費“しか”しない状態になるのは避けなければいけないと思います。どこの観光地に行っても、平均化してきましたよね。そこに近年の外国人観光客の取り込みも重なって、日本らしいものを置いておけばいいでしょうという店舗も増えてしまった気がします。経営している方にとっても、それが実際に売れやすいのですから、当然の成り行きです。

一方で、団体旅行も、平均化した観光を生み出していると思います。やることが決まった旅行というのは、わかりやすくていいんですが、中抜きも囲い込みも多く、構造上の問題が気になっていました。そこに、このコロナ騒動。感染症対策のために団体旅行が減っていくのではなくて、ちゃんと構造上の問題を、業界が認識し、改善しようとして、団体旅行が見直されていく未来が欲しかったと思います。

Go Toトラベルも、表面上は団体旅行が減り、個人旅行主体になっていきそうですけど、業界の体質はまだまだ改善しないような気がします。

その点、「生活圏を旅する」は有効かもしれないですね。僕自身、生活圏を旅していることで、今言ったような問題に気づけたとも言えます。

松本:和歌山熊野川町の小学校跡地に、ホホホ座が関連している複合型のお店があるのですが、そこにあるのは、カフェと書店とパン屋で、とりわけ珍しいスタイルではありません。 でも、休日になると、ちょっと遠出してわざわざやってくる人がいる。高知の『うずまき舎』や、山口の『ロバの本屋』もそう。飲食店を含めた僻地型店舗は、全国至る所に出現しています。

これは、いわゆるライフスタイル系ショップも平均化しているところから話さないと十分ではないのですが、とりわけ珍しいものがあるわけではないけれど、「立地」が個性になっている。この「わざわざ行く感じ」って立派な観光だし、旅になる。

兒玉:たしかにそうですね。「生活圏を旅する」は、場所が変わったことによる視点の転換かもしれない。移動して、そんな旅先の小学校跡地のカフェに行ったことで、自分の日常生活への目線が新しくなったりする。

生活圏への旅は、ツアー型の旅行や大人数の旅行に比べて、自分の私生活との連続性があるんです。その背景に、ここ20年のライフスタイル系雑誌の流行だとかショップの増加、ブーム、平均化があって、それへの反発ということでもあったりするのですかね。

見方を変えると、挙げてくださった跡地利用に関しては、近年だからこそ生じた状況と言えそうな気がします。バブルで都市域から人が出て行って、また2000年ごろになって都市に人が戻ってきた(地方から流出して行った)、オリンピックや万博などの再興を望むような象徴的なイベントが準備され、都市部の輝きを取り戻そうとする。単なる大学生から見ていてもそういう空気を感じます。地方志向はそういう動きとほぼ同時に進められてきたものかと思ったりします。

松本:繰り返しでしょうね。地方志向という点で、「東京に疲れて田舎に癒される」ていう構図は、表現としては、ずっとある定番なんです。小津安二郎の『東京物語』にもそんなニュアンスがありますし、国鉄の『ディスカバー・ジャパン』のスタートは確か1970年。80年代に入ると究極の東京dis作品、『北の国から』が大ヒットします。

ただ、これらは、都会側から見ても地方側から見ても、生活の連続性はないんです。相対化されているからこそ、表現として面白みが出る。極端なんですよ、東京から帰ってきたやつはみんなヒロポン中毒。とか。

もっと言えば、だからこそ東京に対するあこがれも増すのでしょう。今は、東京の人、大変そうだなあ。って普通に心配してて、すごい変な感じがしますね。兒玉くんも東京圏でしょう?このご時世、その位置から見た地方。ってどんな感じなんですか?

兒玉:そうですね、ウイルスを持ち込むなーって思われてるんじゃないかとか思いますね。地方の定義にもよりますが、東京以外の都市(道府県庁所在地で良いです)だと今もう東京と比べても陽性者割合で言えば変わらなかったりしますしそれほど反発はないかなとか。

私の住む街は東京に1時間で通勤できる距離です。畑と住宅街が交互に見えるようなところです。1時間というのは微妙な距離でもあって、コロナ前よりも最近は東京がより遠く感じられます。すこし他人事のように、東京の感染状況が見えたりもする。若干の東京離れが、今オンラインの学生だからこそあると思います。周りの友人とzoomで話していてもそう話す人はいますね。ただ、基本的に、東京に仕事があり大学があった人が住民のほとんどなので、東京があるからこそ、ベッドタウンという役割を与えられ、僕の街は成長してきました。明らかに東京圏です。ただ、東京圏が広がりすぎたぶん、その中でも東京との心理的な距離はコロナ後で変化してきていると思います。

ここ10年くらい最近は海外(グローバル)志向が都市部で強かった分、改めて足元を見ようという動きもあります。形を変えて、「ディスカバー・ジャパン」は生まれると思っています。消費する側が都市の人間だけになるのはもう避けたいですが。

松本:「都会から地方に殺人ウィルスを持ち込む」みたいな感じって、毒にも薬にもなると思うんです。つまり、これ、ちょっとだけ来るなら勘弁して欲しいけど、長期なら大丈夫。ってことでもあるでしょう?長期っていうのは、住んでしまうっていうことですよ。「生活圏を旅する」ことは、その先に「住む」という意識があるように思うんです。コロナ騒ぎの「とにかく都市はヤバイ」っていう意識も燃料になって、都市から地方への移住が加速する可能性は結構高いと思います。

インターネット、暮らし、生活系の普及、全国に同じようなライフスタイル系ショップが出来たこと.。話すと長くなるんでやめておきますが、2000年からの20年間、この準備をしていたと考えれば、非常に辻褄が会うことが多く、コロナでダメ押しをされたような感覚があるんです。

兒玉:なるほどなるほど、情報伝達と価値観の平均化が進められてきたこの20年間が、コロナという想定外のきっかけでより定着していくということですね。同時に、そうして移住して行った人たちが、それぞれの地域に適応していくことや地域の個性・多様性を「不都合だ」と言って合理化するのではなく、残して育てていけるようになっていきたいですよね。それにも多くの人が気づき始めている気がします。単調な生活では精神的に追い詰められる。コロナでずっと家でパソコンを見て授業を受けなきゃいけない大学生の多くは感じているんじゃないかな…。だからこそ、地域の個性「地域性」の発見だと思いますね。

それでもまだ、東京の力は大きく、分散にはまだ時間がかかりそうです。文化庁が京都に移転するという動きがあるのは興味深いですが。

ホホホ座も、名前で言うと日本各地にあると思いますが、のれんわけと言いますか、それぞれ成り立ちも方針も違っていますよね。意識されていることはありますか。

松本:ホホホ座が全国に広がったことについては、その場その場で決めてきたことなんで、よくわからんのです。そういえば東京にはまだ無いですね。一度、かなり具体的な話があったんですが、ビルの2フロア全部。みたいな規模のでかい話に腰がひけてしまい、「やめた方がいいんじゃないですか?」と暗に断りを入れてしまいました。特別意識していることでもないんですが、僕はキラキラした世界が苦手なので、なるべく泥臭く、地を這うような方法を選ぶことですかね。

兒玉:そうでしたか、東京の話もあったんですね。浄土寺の2店舗は、特に浄土寺センター、店の中が道路から見えて、街の古書店のような構えがとてもしっくりきます。

愛媛の松山城の麓にあった古書店の話を以前しましたが、旅行で地域の古書店を巡る人も最近はいるんじゃないでしょうか、地域性出ますからね、本のラインナップにも。ホホホ座も街に溶け込みながら、それでいて静かな主張が見えるのが面白いんです。

松本:地域性というより、お店がその地域で機能しているかどうかじゃないですかね。本屋に限らず、僕の知っているいい店は、みんなそうです。

話を戻すと、企業的戦略で観光地が平均化するのは、あまりよろしくないと思っていますが、個人商店、僕らがやっているようなレベルの本屋や雑貨店、飲食店も平均化してるんです。ただし、こちらはいい意味で、全体の平均点が上がっている感じです。

逆にコンセプト重視の新しい複合型商業施設やらメガストアって、いいイメージが湧かないんですよ。イオンモールとかじゃなくて、京都だと最近リニューアルした『新風館』、東京だと『宮下パーク』とかのことです。

僕の極端な見方かも知れませんが、格差や分断、差別が意識され、しかも経済的な上向き感のない状況下では、ああゆう場所ってすごく虚しく映らないですか?見た目はいいけど、いや、見た目もそんなに良くはなかったりするんですが、発想が貧困な気がします。ちなみにこれはコロナ関係なく。の話です。

そやから、地元の人も旅人も立ち寄る「普通の、地元の店」っていうのが、最強だと考えているんです。特にコロナ以降の世界では。

兒玉:良い意味の平均化、たしかに感じますね。

大型の再開発は都市部でよく目にしますが、外見はたしかに残しているけれど、分断に気づきながらそれを助長しているなと思う事例は、たしかに多く見ています。目先のことで言うと、訪日観光客の増加や国内富裕層をターゲットにしているのでしょうが、何か足元を見ていない感も感じます。

そのような違和感を認識してくれる人がコロナを経て増えるといいなと思っています。特に同世代に対して、20代の人に。

2.これからの「観光」

松本:物理的な移動や集団になることが制限され、観光、旅行にとっては、手足をもがれたような状態になっているのは確かだと思います。お互い、専門家ではないですが、兒玉くんから見て、何が問題で、どう考え方を変えればいいのか?思うところはありますか?

兒玉:とても難しいですね。旅行を享受する側としては、自分の足元をみる期間になるんじゃないでしょうか。

地元への目線と、どこかへ旅行することは、私の中では表裏一体の行動なんです。自分の日常生活があるから、旅行という区分が生まれますよね。普段生活している場所のそばだったとしても、通過していて気づかなかったところに何か興味惹かれるものを見つけたりしますし、それも一種の旅行なのかなと。私は高校生の時に自転車通学だったので、できる限り学校から家まで帰る道を毎日変えながら、「ここに出るのね」「こう見えるんだ」って楽しんでいました。木の形とか道路のカーブ具合とか農家の塀とかから、他の場所の景色と繋がったりします。つまり、普段の移動もやり方変えれば旅行なんだという。「移動」になんらかの意味を加える。ということなのかも。それは、自分の住む地域を俯瞰できるようになる過程でもあるのかなと、思ったりします。

そういうパーソナルな移動を、集団を避けなければいけない時期だからこそ、やっていく人が増えたら良いなと思いますね。

松本:ここ数ヶ月、日本人は同調圧力に云々。というような分析をよく聞くのですが、「自分の頭で考えて行動する」ことが、これほど試されている事態って今までなかったと思うんです。観光も旅行も、よりパーソナルなものにならざるを得ないのかも知れません。もともとそういう性質の人は、この状況でも旅行するだろうし、コロナが移住のきっかけになるかも知れません。極端な話、そんな人が各地に散らばって、これから「生活圏としての「観光地」を作っていけば良いと思います。あんまり生産性とか気にしないで。

兒玉:はい、やはり住まなきゃな。と毎度思っています。「住みたい」のほうが近いですかね。

本質的には、パーソナルな動機や行動を積み重ねる方が、全体として“健康的”な気がします。あとは、私含め、口だけでなく動けるかですね。一方で、元から住んでいた方の場所という意味でも、「外部からの人間が余計なことをしてきた」にはならないようにしたい。新しく作るのではなく、発掘、再発見、表象という過程を大事にしたいです。

松本:うちも一応宿をやっているんですが、ザ・観光のお客さんやインバウンドに対応するホスピタリティを充実させるのはめちゃめちゃ大変なんです。仕事として効率が悪すぎる気がしたので、最初からそこは捨ててます。そもそも大手予約サイトに登録すらしてないですし。でも、それぞれのパーソナルな旅行には対応出来ると思うんです。なので、「旅人や観光客を迎える」というより「関係性を築きたい」という方が適切な気がします。

先日泊まったお客さんが「今度はウチ(泊まりに)に来てください」って帰り際に言ってくれて、うれしかったですね。一方的なサービスや企画を大量投下するよりも、関係性を作るための場所作りをした方がいいと、僕は考えています。でも、あまり一般化することは出来ないかも知れませんね。その場のその場で発動することなので。

兒玉:本当にそう思います。双方向に、その行為の価値を認め合える。自分の生活にも還元できるかもしれませんしね。手間がかかると言われてしまうかもしれないことですが、サービスというよりも純粋なコミュニケーションですね。そうして自然と生まれていく場所になっているというのが、仕掛けの多い面白いお店ということなんだと思います。

私も1週間、宿に滞在させてもらいましたがとても良かったですよ。何がいいって、道具がいっぱい部屋にあることですね(笑)。実家暮らしで普段料理をする機会はあまりない人間ですが、調理器具が“厳選されて”置いてあって。良い機会だと思って、近くのフレスコ(スーパー)へ行って米と味噌、豆腐とかだしとか小松菜とか買ってきて、「炊いたん」をつくって京都を感じていました(笑)。服の洗濯の道具は、タライと洗濯板を何度か使いましたし、「今日は量が多いな」と思うときは近くの銭湯に行って風呂の間に銭湯の洗濯機で洗ったり。そうやっていろいろな余白が仕掛けられていて、面白い“宿”だなと思いましたよ!

松本:「道具」を置くのはサービスじゃないんです「それ使って、好きなようにやってください」ていうことなんで、むしろ逆。

確かにすぐれたホテルのサービスは、気持ち良いものですが、サービスの質が良ければ良いほど、町と宿泊施設って分断される気がします。いい意味でも悪い意味でもホテルって異空間ですから。そこがもっとなめらかな連続性を持つようにするのが、これからの観光のような気がします。プロジェクトありきではなくて、なるべく自然発生させないと長続きしないでしょうが、僕は、そんなに大変なことでもないような気がします。

それこそ、よくわからないパンフレットを何万部も作るんであれば、兒玉くんのような人を滞在させて、売れる冊子を作った方が全然いいと思います。ピンポイントな意見になりますが、観光地の印刷物はとにかく無駄が多いです。ただでもらったものは捨てやすい、ゴミ問題的にも、買えるもの方がいいんです。(観光における)サービスとはなんぞや。ということは、今考えないといけない課題でしょうね。

兒玉:仕掛けをあちこちに隠しておくことでコミュニケーションできたりしますもんね。

確かに、こういうのは狙うというより偶然生まれる感じですよね、色んな場所で。

ホテルの役割を街に分散させる事例が近年街並み保存地区だとよくありますが、観光客が地元の人と関わる機会が増えて興味深いです。色々、応用できることもあるんだろうなと。

松本:あるでしょうね。例えば、「生活圏の旅」を質的に向上させる。ということは、その土地に住む人の日常生活も一緒に考えることでもあり、その生活が「続く」ことが大切になってきますから。

そうなると、もう観光客も地元民も関係なく、人が出入りし、交流することで作られる、全く新しい「観光」が生まれるかもしれません。


いかがでしたでしょうか。今と当時じゃ随分と状況も違いますので僕もいろいろ変わったところもあります。ご意見も募集しております。このときは、旅の選択肢の一つとして、パッケージ化されたリゾート観光ではない、街・都市を細々と移動してみる観光について考えてみました。ワーケーションなるものもここ数ヶ月で聞くようになったり、もちろん職種にも年齢にもよるでしょうけど、いわゆる“日常生活”と“旅行”の境界が曖昧になる人も出てきているでしょう。またそこはお話ししますね。今日はここまで。長々とありがとうございました。最後にリンク貼っておきます。


ホホホ座 全国に店舗がありますが、感覚でいうと暖簾分けでしょうか、独立した経営が行われていて、第一号店は京都の左京区にある浄土寺店です。今回滞在したのはそこでした。(また別のエントリーで書きます。)

今回販売をはじめた本はこちら

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